2014年8月17日日曜日

銚子砂岩中の貝化石 (2)

基本的に化石よりも岩石の方に興味が有るので、どれを観ても同じ貝に見えてしまうが、二枚貝なのか?フジツボなのかは判るようになってきた。房州石を調査していると、白色系の砂岩に沢山のフジツボの貝殻片が含まれている砂岩が良く使われているので、やっと判って来たのだが、中々その手の原石の露頭には出会えないのが残念。房州石の中にも「貝殻石」の名の石材があるのだが、貝殻が多く含まれた部分は既に採掘され尽くしてしまったのか、現在の園山には感激するほどの貝殻は含まれていないのです。
千葉には、利根川河畔の木下に貝殻を多く含む貝化石が産出し、石垣や灯篭等にも使われて現存しているのですが、木下の場合は貝殻の分量が多くて、基質支持では無くて、貝殻支持(?)と言えるほど貝殻が多いのです。

2014年8月16日土曜日

銚子砂岩中の貝化石

 銚子砂岩を調べ始めて1年半になる。化石にはまるで縁が無いし興味も薄いのだが、貝化石を見ると矢張りこれが何時の時代のものなのだろうと、興味が出て来る。かなり化石が集まっているので、ダービダイト等で流されて来たものの様だが興味深い。
気が付いたら2週間以上UPしていなかった。この間、稲井石を追ったり、銚子に出掛けて露頭を歩いたり、何かと気ぜわしい日々を過ごしていた。長い時間が掛かったが、枕状溶岩の参考文献リストを作ってみた。参照文献は690点に及んだがこれらの文献には十数年間お世話になって
小生の55歳以降の老後の地質生活を豊かに彩ってくれた。枕状溶岩を卒業する訳でもないので卒論は書かないが、リストだけでも何か良い活用方法がないものだろうか?等と考えている。

2014年7月30日水曜日

枕状溶岩の石碑 塩之沢トンネル入り口

 枕状溶岩はもう一つのブログのテーマなのだけれど、まあ良いか!先日、本宿カルデラの下見に行った際に宿泊した塩之沢温泉から南牧村へのトンネルの入口に在ったので撮影。この様に断面を磨いた石碑は少ないので嬉しい。組織が良く見えますね。この様に断面を見せたものは、群馬県立自然史博物館の屋外展示に在る。詳しくは「まくら状溶岩の露頭」ブログで群馬県の項を御覧下さい。


2014年7月27日日曜日

本宿・蝉の渓谷:チャートに穿たれた渓谷


下仁田から西側に入った南牧村を流れる南牧川の上流に蝉の渓谷が在る。壮大なチャートの露頭を何故かこの部分だけが細く深く渓谷になっている。橋の近くに駐車場が在り、画像は橋の下流側で全体的には上の画像の様に(画面上の)左下がりの傾斜が支配的なのだが、低い部分にチャートの鋭角に折れ曲がったメランジェらしい部分が在る。
全体を俯瞰すると3枚目の画像。
二日間、観察会の一回目の下見の為に南牧村と下仁田町の主に西側の長野県に近い付近を歩き回ったので暫くその画像をご案内してみようと考えている。主として「本宿カルデラ」の火山性地質が主となります。この付近は実に久し振りだが以前にも歩いてその画像を少しご案内しているのでダブらない様にしたいですね。下の画像の右下は橋の欄干の一部が入ってしまった。

2014年7月21日月曜日

房州石にも色々あるのだが (2)

似たような顔だが、何れもスコリアが含まれているし、級化構造も見えるが、比較的分布が緩やかに見える。画像の横方向が上下の堆積方向なのは明らかだけど境目がはっきりしないのも面白い。表面の細かな横方向の加工目もかなり残っている。これは蔵の南側に面した外壁。

このブログに先行して「枕状溶岩の露頭」を露頭情報紹介用として開設したのが2009年9月8日。間もなく5年の歳月が経過しようとしている。枕状溶岩の露頭紹介を辞めて、桜島他の火山の活動紹介を今は中心にしているが投稿数がこれまでに1346件になった。桜島情報は古くなったものは適当に削除している。こちらも丁度1346件で同数だ。「枕状溶岩の露頭」ブログの方が、
この「岩石と土の表情」は2009年11月15日の開設だが「枕状溶岩の露頭」と同じ投稿数になっていた。ヒット数は「枕」の方が五割り方多い。

枕状溶岩の露頭に関しては、現在簡単な資料集を作成中でA4半43頁の画像集が今月中にまとまると思う。もう一つは、必要なのかどうか?迷ったが文献リスト週が26頁595件を発行年代順に整理している。著者別に並べるべきか?pdfファイルも入れるべきか等迷っている段階。

此方のブログも、房州石や凝灰岩の画像が中心なので地味すぎるのか読者は少ないのだが、毎日、少数の方々でも観て下さる内は続けるのも良しかな?等と思いながら続けている。
先日、69際になった。

2014年7月16日水曜日

房州石にも色々あるのだが

最近、富津図幅地域の黒滝層が分布する地域の古い石丁場の調査をする機会を得た。その日に、石蔵を二棟見学させて頂いたのだが、その内の一棟に使われていたのがこの石材。一枚の高さは22cm程度だろうか、度肝を抜かれて持っていたスケールを充てる事も忘れて写真を撮らせて頂いた。もう一棟はやや泥混じりであった。建設時期は大正12年よりも前話で、近くの谷底から一枚一枚背に背負って運び上げたのだそうだ。仕上げはきっちり丁寧に行われているので、職人が入ったのは間違いない。場所によっては細い溝状の模様がそのままに残っている。
詳細は調査中なので申し上げられないが、地層としては清澄層らしい。
この様に硬く、砂岩らしい凝灰質砂岩は初めて観た。

2014年7月11日金曜日

稲井石の生物擾乱模様 (3)

解説は不要だと思うが美しいものですね!