2020年7月19日日曜日

岩石と地層の表情:082;徳次郎石

千葉県内の五輪塔の石材産地が天神山石だと云う説を聞いた時に、まず頭に浮かんだのは、前回の「船生石」と今日ご紹介する「徳次郎石」の事でした。宇都宮市の北側、日光有料道路の最初のICである「徳次郎」には、大谷石とは異なる淡い緑色を帯びた緻密な凝灰岩がを用いた石造物があります。
旧農商務省地質調査所から発行された「栃木県産建築石材試験報文」(清水省吾,1913)には、富屋村の項に「字徳次郎、下横倉及び岩井堂等の数か所は石材を産す、採石場は徳次郎に於いて入江覚治の稼業せるもの稍大にその他は甚だ小なり。徳次郎は数百年前より採石せらるる処なるも、運搬不便の地にあると石質の耐火性ならざるとを持って需要は本村内に止まり従って農閑採石せらるにすぎず・・・」と記載されています。
宇都宮市下ヶ橋町で石造物の調査をしている時に、均質な白い凝灰岩を和釘で木骨構造に取りつけた小さな蔵を見付けました
地質図は「宇都宮」を使用しています。国道119号と日光有料道路とが並走し、これとカーブを描く国道293号線が交差した付近が「徳次郎:とくじら」です。
国道293号線の「西根」付近に黄色く着色した部分は国道の東側に並走する生活道路ですが、ここと、日光有料道路と並走する国道119号に沿って両側に黄色に着色した部分には数多くの、そして様々な大谷石「類」が使われた石造物が有るので観察に好適な場所の一つです。但し、駐車場には恵まれていないので、国道239号線の南側の「畑中」付近の温泉マーク:農業公園か、徳次郎の外食レストランチェーンの閑な時期に一言お断りして車を置かせて頂くしかありません。
地図中央の「男抱山」の少し上に白丸があります。私はまだ此処に行ってないのですが、どうやらこの付近に徳次郎石の石切場跡が在るらしい事が判ってきました。
地図の左手の白く囲った場所は、2010年に博物館の県外岩石観察会で歩いた場所です。この付近も面白い場所です。
下ヶ橋町の調査をしていた時に見付けた農機具倉庫なのでしょうか?道端にポツンと立っていました(国土地理院10進経緯度:36.651495,139.944214)。この集落も大谷石の石造物が多く特に古い時代のものも多く残っている地区です。徳次郎から東に 9 km の地点です。
厚さ8~9cm程度の白い緻密な凝灰岩を内部の木組みに“T”字型の和釘で止めています。本来はこの和釘を幅広の漆喰で隠しているのですが年月が経ち無くなっています。
写真を撮って居ましたら、地元の私より一回り年上の方が声を掛けて下さいましたので、徳次郎石の調査をしている事をお話ししましたら、自宅にもこの石を使った蔵が在るよと仰って招いて下さいました。
先程の農機具倉庫の石材と異なり、淡い緑色を帯びています。直射日光が無いので石材の中の小さな斑が見えますが、「ミソ」はありません。漆喰が剥がれている場所を敢えて写させて頂いています。根室の車石(放射状節理・このすぐ下に枕状溶岩の露頭が在るのだけれど)の絵馬は御愛嬌のスケール代わり。
柱の拡大図です。90度回転した画像です。現行の大谷石とは明らかに異なる凝灰岩です。緑色凝灰岩の緑は、どのような反応がなされるのか知りませんが日光に当たる場所では意外と変化して白い石になってしまいます。これはまだ緑泥石や緑簾石が残っている様です。
徳次郎の交差点からやや南に下がった西側、旧富屋村役場跡の近くに道路に面して、現存する大谷石の石瓦を使った「門」の柱で、側面に「寶暦元辛未(1751)年十一月」の刻銘が有ります。堆積方向と石材の切り出し方向に寄ってやや組織に差がありますがこの画像はやや緻密に見える面です。
同じ柱の直交する隣の面です。堆積構造が現れていてややポーラスに見えますが170年余り前の凝灰岩とは思えません。縦方向に長いクラックが一本入っています。
町内の建物の装飾部分です。塩谷町の船生石程ではありませんが結構緻密です、スケールは 15 cm。
三棟続く石蔵の一部です。右手の蔵は最近の大谷石ですが、奥の石蔵は下ヶ橋町で拝見した石材と同類です。和釘の頭が見えます。尚、瓦も大谷石の石瓦です。これが重いのです!
石材を大写しにしてみました。かなり緻密です。徳次郎石の石切場跡と目される付近の地質は、大谷層の最下部の“Ot”:流紋岩火山礫凝灰岩・凝灰岩及び凝灰角礫岩(凝灰質砂岩および礫岩を伴う)と定義されています。

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