2019年8月7日水曜日

岩舟山の不思議 地元の石材と外来石材の住み分け

伊豆半島南端の下田や上賀茂等から凝灰岩質石材が渡良瀬川を遡って運ばれて来ている事は既に調査済みだが、比較的広い範囲に流通してきた「岩舟石」と伊豆を始めとする
関東山地の石材が何処まで使われているか、用途に拠って住み分けされているかは興味深いので、今回の調査では伊豆産出石材やそれ以外の石材に付いても神社等で調査を行っている。今日ご紹介するのは、岩舟山から南東方向の国道 50 号に接する「赤塚山」山麓の「熊鷹神社」隣の廃寺跡の墓地の石材です。見慣れた粒状組織を持ち、小豆色の火山岩片が特徴の伊豆上賀茂付近に産出する石材が六地蔵と明治時代の墓石に使われていました。

六地蔵は野晒で安置されているが意外と保存状態は良い

六地蔵の建立は「文政十丁亥(1827)六月吉日」とある。

六地蔵の中の「鶏亀地蔵 けいきじぞう」尊

六地蔵の中の「陀羅尼地蔵 だらにじぞう」尊

台石は本体と風化色が異なるが石材としては同じ

無縁仏の中に保存状態の良い大きな墓石が置かれていた。周囲に刻まれた没年は明治初期の年号ばかり。隣の墓石との隙間が小さくてファインダーを覗けないので見当で写してみた。お名前はこの地域に多い名字であった。

隣の墓石にカメラを密着させて、石材の接写画像を撮影したもの。小豆色の火山岩片も観察される。

凝灰岩では無く、宮城県石巻産の「井内石:仙台石・稲井石」石材が墓石に使われていた。珍しい事に、砂泥互層が全体の形状に対して斜めに傾いている事。普通は縦長の板材の側面に並行になる。500点以上の井内石の石碑の建立年代と形状寸法を調査したが、この様に斜めの堆積模様の観察例は数例あるだけ。

恐らく、伊豆の安山岩が使われていると想像するが、「嘉永七年申寅正月吉日」建立銘の十六夜塔が六地蔵尊の傍に、庚申塔と同時期に建立されていた。

岩舟石は墓石にも多数用いられているが、街の辻に建立されている「庚申塔」はほぼ岩舟石でした。

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