2019年6月17日月曜日

No.0956_杉戸町杉戸:八幡神社 6月17日のFW

 北風が強く帽子は飛ばされるし、接写をしようとすると屈みこんだ体が揺すぶらされる。強風で澄み切った青空で日照が強過ぎて石材の画像は白く飛んでしまって細かい所が写らないので、今日は概ね昼頃で撤退!
 今日は杉戸町杉戸から倉松の6か所を巡って1ヶ所伊豆の凝灰岩を観察。もう一ヶ所、秩父の青石が天保時代に使われていたので別件だが合計二件が当たり。
 最初の八幡神社では、拝殿裏手の燈篭の軸部は、粒状構造が顕著な伊豆の凝灰岩で、天保十二年(1841)とハッキリ読める・ 参道の敷石はやや細かな軽石質凝灰岩で、敷石の奉納碑と思われる小松石製(根府川石形)石碑は明治二十三年(1890)・ 手水鉢:細粒花崗岩:明治二十五年(1892)・ 富士山溶岩を基壇にあしらった一対の狛犬は明治二十九年(1896)・ 鳥居:花崗岩製:明治四十年(1907), 鳥居に掲げられた神社額は、宮城の井内石・ 灯篭の上部は昭和の作で白河石製だが、基壇部分は伊豆の軟石でこれは社殿前面の基壇の石材と共通・

花崗岩製鳥居は明治四十年丁未(1907)年かなり傷んでいるが、帯板で保護している。

一対の鳥居は基壇部分と燈籠本体の材質が明らかに異なる。上部は後年の改修品で有ろう。

灯篭基壇の伊豆軟石は、表面の叩き加工にも拘らず、粒度の差が脈状に現われる事が多いので判り易い

細部を見ると砂岩の様にも見えるが、特徴の小豆色の火山岩片が観察される。

社殿前面の基壇は、燈篭の基壇と石材の構成が同じなので同時期のものと思われる。笠石は、小生が「げんこつ」と呼び慣らしている、やや茶褐色を帯びた大きな礫の間を細粒の緑色凝灰岩が埋める。

燈篭の軸部に観察される圧密レンズ。芦野石と白河石の区別は煩わしいが、この様に小さな黒い圧密レンズを含む石材は「白河石」。やや大きな厚みのある圧密の軽微なものを「芦野石」としている。

白河石(芦野石も同様)で灯篭等を作ると、圧密レンズが観察される面と、レンズが観察されない面が直交して用いられている事が多い。

燈篭の基壇上に使われた、私が「げんこつ」と呼び慣らす石材の拡大図。社殿基壇の笠石と同じ材質。文字程度は刻めるが、像などの彫刻には向かない。

拝殿裏手に在った灯篭棹の完品。これも基壇材料と同じく小豆色の火山岩片を含む粒状構造の顕著な伊豆半島産凝灰岩。土埃でやや薄汚れている。

宮城県石巻産の「井内石」で造られた神社額。年号は確認出来ないが、材質から明治以降のものと判断される。

今日のコース:複数の線が重なる部分はバス路線。左上から右へ強風の中を右往左往。
以上

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