今日は博物館に行く予定だったのに、フト考えを変えて、川越市の新河岸に出掛けてみた。川越に伊豆の凝灰岩質石材が多いのならその途中の河岸のある街に残っていないかと考えた次第。
狙いは当たって、新河岸の旧廻船問屋「伊勢安」の齊藤家を始め、河岸の守り神の日枝神社や厳島神社のみならず、砂氷川神社や、扇河岸の厳島神社や、新砂田の春日神社でも石垣には大量の角礫混じりの緑色凝灰岩が使われていた。
絵面的には余り美しくないがご覧頂ければ幸い。
新河岸川の旧河岸の有った付近
廻船問屋の旧「伊勢安」の齊藤家の一段高く石積みされた部分には、刷毛目の美しい伊豆の凝灰岩質石材が使われていた。
玄関に昇る石段の部分が別の石材で組まれている。色合いと摩滅し易い場所での使い方から「小室石」かと思ったが、雰囲気が違う。あとで家人にご教示頂いた処、元々金庫蔵に使われていた石材を此処に持ってきたとの事。
石材の側面には小さな、黒曜石化したレンズ構造が観察されるので白河石であろう。
流石、井戸の囲い石にも、伊豆の凝灰岩質石材が使われている。
角礫を含む緑色凝灰岩は現在の間知石に比べてやや小振りで高さが 18-22 cm 程度。礫は淘汰を受けていない。
河岸の傍の日枝神社は高い基壇の上に建立されている。角は安山岩だが、それ以外は補修された画像範囲外を除くと全て角礫を含む緑色凝灰岩の石積みです。
神社の傍に観音堂が建立されているからなのだろうか、根府川石に線刻で一対の仁王像らしきものが刻まれている。画は「英一笑信俊」謹書。石工は「長蔵」と有る。弘化三丙午とあるので1846年。英一笑:42歳の作品である。
日枝神社傍の厳島神社の基壇には、先日「私を何処かにつれてって」と私を引きとめたのと同じ石材が光っていた。
扇河岸の厳島神社の鳥居は文化七年:1810年に安山岩を用いて建立されていた
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