自分では納得出来ても、他の人に説明するには拙いな。と云う岩石の観察写真が時々有る。以前作成した観察資料集を整理していると杉戸町の一角で少なくとも明治か江戸時代からのものと言われる建物が有って、以前写したその建物の礎石の画像は小さなゴミだらけで、自分ではその奥に有る石材の判別は着くが他人にはごみの塊にしか見えないと思った。観察記録もかなりの件数が溜まったので、観察条件の悪いものは除外する事にしたが、なんとなく気になって、他にも写しておきたい画像が有って、昼からの勤務を良い事に午前中に杉戸町まで出掛けてしまった。
件の建物は、恐らく先日の台風の暴風雨で、礎石の部分がかなり洗われていて、前回は気付かなかった緑色凝灰岩まで良く見える様になって居た。序に、ご近所の渡辺金物店さんの門柱の束石は、埃が綺麗に払われて、石材が石灰質だった事が明瞭になった。今日は意外とよい観察日和だった。
前回はゴミと埃で観察出来なかった場所が綺麗に現われて緑色凝灰岩が礎石に使われているのが判明
石灰質凝灰岩の存在は判っていたがこれもゴミだらけだったのが綺麗になっていたのと、石灰質凝灰岩が地中の礎石でその上に緑色凝灰岩が乗っている事が判明。
愛宕神社で、本殿脇の石碑を見ると二体共に明治33年の改修になっていた。調べて見ると明治29(1896)年に、7月下旬と9月下旬に利根川下流域で水害が有ったとの事。7月の水害は東京の本所・深川までも大きな被害だった事が判った。明治の年号の緑色岩が気になって気が着いた。石材は緑色片岩と本小松石(箱根溶岩)
旧日光街道から少し入った場所の「宝性院」前の青面金剛は、延宝八庚申天(1680)の造立。安山岩の流理模様が面白い効果を出している気がする。
日光街道に面した旧「渡辺金物店」さん(営業はしていない)の昔はトロッコが走ったらしい門柱の束石は緑色凝灰岩だとは判っていたが、あばたにえくぼの石材の表面を接写してみると、これも石灰質の凝灰岩だと判明。
日光街道に面した「渡辺勘左衛門」邸の街道に面した石塀は美しい伊豆の凝灰岩で築かれている。殆どは細粒の描く模様なのだが、特徴のある岩塊が密集しているので、これは下田市の敷根で私が奈落の底に吸い込まれそうになった地下の採掘場のものだと判る。
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