昨日は、西新井の東側の足立区に、草加宿の石工「青木宗儀」が刻んだと云う「青面金剛像」を探しに歩いたので、序に電車を降りてから数ヶ所の社寺で石材の観察をさせて頂いた。珍しく、房州石に良く似た伊豆の石材に三か所で出会う事が出来た。
或る神社に「享和二(1802)年」銘のある花崗岩の鳥居が在ると云うので、瀬戸内の北木(岡山県北木島)辺りの石材だったら写真を撮っておきたいと思って立ち寄った。でも、残念ながら、花崗岩とはとても言えない石材で、恐らく真鶴や熱海付近の溶岩で在ろうと思われる石材だった。明治時代には北木の石材が埼玉等に入っていた事は、石工さんの仕入台帳から判っている。今でこそ近い真壁等の産地より、舟が行きかう瀬戸内の方が運送には遥かに便利だったのは、言えている。
以前、さいたま市緑区でも似た様な事が有り、石碑類の石材名称が全く違っていた。判らなければ書かなければ良いのにとおもうのだが、文化財の担当者と云うのは、このような事に無頓着なのだろうか?
ある人から、人間は誰しも間違える事が有るのだから、下手に指摘すると、嫌なしっぺ返しをされてしまうよ!と注意された。しっぺ返しは当然あるだろうが、花崗岩と安山岩とは余り間違えて欲しくない組み合わせだと思ったのは慾目だろうか?
昨日、この付近で写した花の写真を友人に「桜」と書いてお送りしたら、「桃」の様ですね。と言われ、慌てて調べたらどうやら桃の花だったらしい。こんな事が在るのだから、人様の事を責めてはいけないのだな!と思った次第。
0 件のコメント:
コメントを投稿