2018年3月5日月曜日

草加宿の石工:青木宗義(4)

3月4日は、草加市北部の弁天に在る「観正院」と隣接する「厳島神社」を訪ねた。

観正院には「日本の石仏」に記載された青木宗義の作品では最初に「神流齋」の名を冠した天保六年造立の馬頭観音像が現存する。上図の左から2番目

石材は伊豆の凝灰岩質石材で、谷古宇稲荷の疱瘡紳や、三社大神神社扁額に使われたものと全く同じ凝灰岩。この石材は、風化の際になんだか頼りないほど弱い石材に見えるのだが、三社大神神社の扁額に見られるように適度に硬く、艶が出る材質であり、墓石などにも使われているもので、恐らく下田の上賀茂がその代表的産地の一つだろうと思っている。青木宗義の名前の下の方は、丁度粒度の粗い部分に在って厳しい。

建立時期は天保王六年と読める


観正院の墓地にも、この石材を用いた寛政十二(1800)年~明治三(1870)年間での七名の没年を記銘した墓石が表面に苔は生えているが健全な状態で現存する。

安山岩の塔の場合でも、外形は損傷が無いのに、正面に刻んだ文字が全く読めなくなるものが有る(製作年代も不明だが)材質が寿命を決めるとは限らない。特に、小松石の系統は空隙率に格段の差があるので、「文字」を刻むものには出来るだけ緻密なものを使わなければならない。

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