2018年2月27日火曜日

草加宿の石工 青木宗義 (2)

 今日の午後は青木宗義の「作品」を見ようと草加の街を歩いた。午前中は神社が多く石造物が多く残る野田市内に、青木宗義の作品が在るかもしれないと思い念の為に、図書館で野田市内の金石資料に目を通したが探し出す事は出来なかった。この街の江戸末には「杉崎弥八」と「古谷津辰五郎」の系統の石工が居られたので流石の青木宗義も入り込めなかったらしい。
 午後一番で、吉町と云う処で廃寺跡に在ると云う宝篋印塔を探したが、関連深い神社は既に調査済みなのでその周辺を探せば直ぐに判るだろうと思ったが、探し出せず、丁度見つけた駅中の「物産・観光センター」に飛び込んだが中々判らず、待ち時間がもったいなくて東福寺と谷古宇稲荷に回って戻ってきたら、何とかその場所を探し出して下さっていた。嬉しかった!有難う!。駅の近くの「何とか資料館」では、市で纏めた金石資料集に掲載のものなら何とかするが、掲載していないものは知らないと断られた。
昔は、このような資料館には老練な知識人が居て、判らなければその町の町内会長に電話してでも調べてくれたが、世代が代わってしまったのだネ!
 谷古宇稲荷では、ぐるりと一周しても見当たらなかったが、三周目にやっと植え込みに隠れそうになっていた「疱瘡紳」の祠を見付けた。青木作品でこれは二つ目の伊豆の凝灰岩だった。疱瘡紳の左手に書かれた「関八州石工司子孫神流齋青木庄左衛門」の署名

右側の建立年月

全景:風化が進んでいるのが残念

東福院では現存すると云う三件中二件は探し出せたが、最後の一個は判らずじまい。
まあ、もう何度か通って「青木作品」を探し出そう。
東福寺で拝見した二つの中の一つ。これは以前にFWでも確認している「金玉道中」
上は酒樽の薦被り。正面は徳利と酒杯。良い!実に良い!

署名の部分:大きな石碑だが署名は「六丁目 青木宗義」

続く・・・多分

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