利根川を見下ろす事の出来る高台にある無住の神社だが、お隣のお寺さんの存在に稍かすんでいる感が有るが、意外と歴史の在る石造物が存在し、その年代が判るのも嬉しい。
社殿の土台石にやや粗めの緑色凝灰岩が使われている支柱の束石は伊豆の細粒緻密な凝灰岩なので、この土台石も伊豆の可能性が高いと考えた。
燈籠(一対)の一部:火袋が風化破損したので、背後に笠石と共に落下したもの。束石の石材と同類。文化十四(1817)年丁丑の年号。「四」と「丁」は読めないが「丑」の干支から文化十四年と判断。
文面から文久二(1862)年以降に建立されたと考えられる倒壊した石祠の側面。これも細粒の緑色凝灰岩
文久三年の銘がしっかりと残る石祠。伊豆下田の仮称「幼稚園丁場」の石材に酷似する。石灰質凝灰質砂礫岩で堆積時の斜交層理が観察される。
明治十九年の銘が有る凝灰岩質石材を用いた狛犬。背面は風化が見られないが、表は風化している。
石質は不明ながら、記載された年号が元禄六(1693)年癸酉と最も古い石造物。芦野石か安山岩なのか?フレッシュな表面が観察出来ないので不明。芦野石の可能性が高いと思われる。
この神社の境内で、合計三十に点の年号を確認する事が出来た。
使われている石材とその想定される産地:
細粒緻密な緑色(青色)凝灰岩を用いた文化十四(1817)年奉献の燈籠は:伊豆下田から河津附近の産出と考えられる。
古い時代の石祠は芦野石の可能性が高い。
宮城県石巻産の「井内石」製石碑も明治時代を中心に散見される。
資料整理番号:No.122220-01,最新観察時期:2016年12月14日
地理院地図10進座標系:35.881694,140.048545
0 件のコメント:
コメントを投稿