この程度の明るさだとなんとか壁面に現れた凝灰岩の堆積模様が見える。伊豆と房総半島の地層の繋がりを解明する貴重な資料だ。と思う。
何処かに書いたかもしれないが、大正時代に当時農商務省の所管だった地質調査所で県別に建築用石材の産地を調査し、その丁場名、産出額、搬出の為の利便性或はその材料強度などについて、調査し報告書が公表されている。例えば下記
1913年(大正二年)には
茨城県産花崗岩応用試験報文
福島県西白河他2郡産石材応用試験報文
千葉県産建築石材試験報文
神奈川県産建築石材試験報文
1914年(大正三年)には
静岡県産建築石材試験報文
栃木県産建築石材試験報文
この資料は、今は判らなくなってしまった石材丁場の大きな手掛かりになる貴重な資料だ。
千葉での古い採石丁場の調査も中々捗っていないが、伊豆半島でもこの資料を参考に丁場の存在確認を初めて下さると言う。
産業遺産として過去を懐かしむ為だけでは無く、人と自然の恵みの関係を辿る事は大切な作業だと思う。ただただ自然を在るがままに「保存」するだけでは意味が無い。
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