年内のFW はあと一回を予定しているが、公共交通機関の利便性に欠ける千葉県では、九十九里方面の FW はかなり辛いので、時々、カミさんに車で走って貰う。昨日は、匝瑳市を中心にやっと場所を特定出来た「爪かき地蔵尊」と怪しい石碑が在るらしい「椿の海水神社」と板碑の在る数か所を一気に回った。「椿の海水神社」はこの地域(干潟駅に近いのだが)の干拓にまつわる伝説( https://www.city.sosa.lg.jp/page/page001250.html )が有ったりして面白い場所だが、最近は御朱印ブームで休日には参詣者が絶えないらしい。
ネットで神社境内の画像がいろいろとUPされる中で、かなり凹凸の激しい、文字が全く読み取れないと云うよりは、文字を書く場所が無い、およそ石碑に使えそうも無い石材が下総型板碑風に佇んでいる画像を目にしたのでこれは「成東石」かもしれないと確認に出掛けた次第。
今年もコロナ騒ぎで、何処迄フィールドを歩けるのか心配したが、三百ヶ所を越えて軟質石材の観察をする事が出来た。感謝である。
千葉県東部は、情報が乏しいので何度も走って小さな情報を基に調査するので、GPSの軌跡は凄まじく錯綜していて調査の効率の悪さを象徴しているから、青色はこれまでに調査が終わって、石材の観察記録を作成した場所を示し、赤色は昨日の調査で成果が有った場所を示している。緑で囲んだのが「椿の海水神社」。
この日は7時20分に柏の自宅を出て16時20分の帰宅。9時間で走行距離は丁度 220 km。
件の石碑。実はこれは裏側。これなら飯岡石でも通りそうな雰囲気ですが、表は丁度木漏れ日で斑になり、凹凸との見分けが付き難いので全体像は裏側をご紹介。表の特徴的な部分:スケールが無くて申し訳ないが、表から裏に貫通する穴が開いている。指が通る程度の小さな穴だが、飯岡石では穿孔貝が巣穴でも作らない限り、この様な貫通穴は開かない。成東石は、凹凸が激しい事が多いのと、この様な貫通穴が結構出来やすいのが特徴だと考えている。
破断面と云っても、苔生しているので見えているのは「蘚苔類」で石の表面では無いのだが、おや、蜘蛛が居ましたね。これは、手水鉢の脇で、気に隠れていたものだが、中央に何か文字があるようにも思えるのだが、有り勝ちな「青面金剛」とかを当てはめようにもうまくいかないので生痕化石なのだろうか?これも、飯岡石の裏面と云われれば反論は難しいが、やはり凹凸が激し過ぎるので成東石と判断するのが順当だろう。面白い事に、飯岡石は片面にスコリアが残る荷重痕が観察され、この面に文字や線刻が施され、裏面は生痕化石が有るので表よりは凹凸が多い。
「銚子石」で作られた石宮は「大杉大明神」で「文化二丑(1805)年」だろうか?場所柄、銚子石は多数使われている拝殿・幣殿の見易い位置の束石は改修されてコンクリートの様だが、奥の方の束石は「飯岡石」が使われている。
この神社は、干拓事業が寛政後に社殿を造営したとされているので、1600年代の終わりごろの造営らしいのだが、拝殿・幣殿の外周の敷石は緑色凝灰岩が、本殿の礎石は、南伊豆の石灰質砂岩が使われている。本殿礎石の石灰質砂岩は、凝灰質でもあるのだが、細かな石灰質生物遺骸がラミナに沿って分布している。この斜めのラミナが重要な特徴なのです。
この礫質の緑色凝灰岩は、実は産地不詳なのだが、決まって伊豆の凝灰岩や安山岩と一緒に使われている。
手水鉢はコロナ騒ぎで、何処の神社も水を止めたり使えなくしている処が多いのだが、この神社は洒落ているな!と思ったのは、この様に南天が沈めてある。オヤッと思って体の向きを変えながら撮影したので斜めで端が切れてしまったが、チャンと撮ればよかったなと反省。
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