「足底筋膜炎」を患って、ねん挫の様なものだろうと自己診断で四週間余りが過ぎた。腰痛なら経験豊富だがこれは初体験でリハビリをやりながらも、何処迄荷重・負荷を掛けて良いのか?経験が無くて覚束ない。すこしずつ試して大部歩けるようになった心算で、駅近のこれまでチェックしていない社寺を回って足慣らしをすることにした。
最初は、習志野市津田沼の駅に近い「菊田神社」ネット情報で、境内の石造物は殆ど花崗岩や井内石或いは安山岩と見えて、「敢えて行く必要は無い」に分類していた場所。歴史は古いので何か古いものが残っていると云う多少の期待はあったのだが、本殿周りの木製の囲い(玉垣)の束石が細砂程度の粒子が多い緑色凝灰岩なのに気付いて見回すと、出入り口の沓石に石灰質生物遺骸の豊富な所謂「白浜石灰岩」が使われている事に気付き、その後も、神使「狐」や灯篭に凝灰岩を観察する事が出来た。
この日は、もう二ヵ所地下鉄東西線の「原木中山」近くの二つの神社と周辺の寺院を巡って、其処でも基壇の石材に緑色凝灰岩を観察。歩いた歩数は 11,806 歩。まずまずの歩き出しだった。
玉垣の出入り口付近の束石に緑色凝灰岩。踏み石に白浜石灰岩細粒の緑色凝灰岩の接写
石灰質生物遺骸(化石)が豊富な南伊豆の「白浜石灰岩」。普段は見る事が少ない土中の礎石塁に使われる事が多い。
境内社の棹が角柱状の一対の燈籠で、片方は安山岩製で「享保二十乙卯歳九月吉日」は、1735年。片方は頭の文字が消えて「□政八丙辰十一月吉日」だが、「政八丙辰」は寛政八年以外には無いので 1796年製。棹の最下部が風化剥離を起こしていたので石材確認用に撮影。スケールは 20 cm狛犬も、余り風化が進んでいないので安山岩かと思ったのだが、安山岩にしては色が淡いので表面形状を見ると伊豆の小室石が使われていた。
風化時のこの凹模様がこの石材の特長の一つ
境内の稲荷神社を見ると粒子が極端に粗い部分が有る神使「狐」の脇腹に風化剥離が発生していた。これは先刻の灯篭の棹と同じ類の石材。これは台座に昭和七(1937)年と刻まれていた。この時代の伊豆軟石の観察例は少ないので貴重なデータ。
境内の参詣者駐車場脇に整備された公園風の場所の中にやや風化が進んだ青面金剛像が祀られていたが、これは「政」の字を二つに分けて縦書きの「文政十三寅」は1830年でした。
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