2019年11月9日土曜日

柴又 帝釈天の基壇と礎石に使われた伊豆軟石

先日、医者の帰りに駅のホームに上がった途端に乗るべき電車の扉が閉じてしまった。急ぎの用もなく、取り敢えずはやって来た反対方向の電車に乗って何時もの金町で下車。
そのまま何となくバスで柴又帝釈天に向かい江戸川の堤防を散策する心算だったのに。建物の古い裏の部分に「伊豆の凝灰岩質石材」があるのを見付けてしまったので、今日はカメラを持って「石材」の写真を撮りに、午後は博物館から柴又に移動してしまった。

正面の一番大きな「帝釈堂」は基礎から建て替えられているので、近代基礎だが、右隣の本堂とこの右奥にある「釈迦堂」は、表は安山岩か白河石で置き換えられているが、側面や背後に回ると伊豆の軟石が使われているのが判る。部分的に大谷石が補修材と思われるが使われているのは、伊豆の軟石の一部に、チョット見、大谷に似た石材があるからだろう。

釈迦堂の礎石は、モルタルで覆われているので一見、コンクリート基礎かとも見えるが、剥がれてみると伊豆半島須崎付近に産出する石灰質生物遺骸に富む石灰質凝灰岩が使われている。両側面。

本堂の渡り廊下より裏側に回ると基壇の石材が装飾用の硬い石から凝灰岩に代わる。但し、笠石は緑色凝灰岩と安山岩が混じっている。

石灰質凝灰岩の特徴の一つがこの様な斜めの堆積模様である。

接写レンズを使って拡大すると、石灰質のものは乳白色で明瞭に見分けられ易い

これは、本堂の裏手と左側側面に多い、伊豆半島で湯ヶ島層群と呼び慣らされてきた「緑色凝灰岩」でもやや硬いもので、様々な色合いの角礫を含んでいる。ほとんどこのように間知石としてや切り石積みに使われる。カビも生えやすいが近寄ってみると判り易い。

大谷石に間違われ易い伊豆の凝灰岩。汚れていないものでは、淡褐色のやや発泡した岩塊を、細粒の緑色凝灰岩が隙間を埋めている。大谷石の「ミソ」とは性状が異なるので、慣れれば直ぐ判別できる様になる。千葉ニュータウン内の百庚申にこの石材が使われている。文字程度は何とかなるが、石仏などの造形には不向き。




































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