会津街道・五十里湖付近から川俣ダムに向かう途中の鬼怒川沿いに、「日陰」と「日向」と云う地位が在る。峻嶮な谷の底に住む人々には、生きる為に大切な日照がどれほど得られるかは重要な問題で正に「日陰」集落であり、「日向」集落なのだろう。
その、日陰集落の中に。ゴツゴツした大きな岩塊を含む凝灰岩で造られた石蔵が存在するのだが、(5月頃に一度ご紹介したと思う)、この石材に良く似た凝灰岩質石材を使った石蔵を、栃木市旭町の「神明宮」傍で見掛けた。
下部の礎石部は岩舟石である。
今日観察した12カ所の全てで、岩舟石が礎石に使われていた。明治時代に大谷石が南下するのを防いだのは、意外と「岩舟石」の角礫凝灰岩だったのかもしれない。
しかし、日陰の「土呂部火砕流溶結部」を栃木まで運ぶのは容易では無い。さて、何処にその採掘場所は存在したのだろうか?
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