昨日の火山の会OFF会では、15,000歩程歩いたが、気力充実の一日だったので今日9日は予定通り飯岡石の探索。銚子市と旭市の境界付近を走り回って、内陸の露頭は探し出せなかったけれど、石碑や礎石としての使用例を幾つか観察する事が出来た。
飯岡石は、微化石も多く含むが海成の白色火山灰層だが、石灰質で硬く、表面に大きなスコリアが目立つのが特徴。上下の地層に含まれたスコリアの「荷重痕」らしい。
屏風ヶ浦には、飯岡石の露頭が在るのだが、内陸に入るとその露頭が実に探し出せない。この様に白く見えても硬さが足りない。
道標(飯岡、銚子)を兼ねた明治三十年の西国拝礼碑の隣に文字が薄れて読み難いが、なにやらの記念碑と、もう一つ「飯岡石」の石碑を発見。
後ろに下がると県道に落っこちるのでこれが目一杯の写し方。何度もこの前を走っているが少し高くて見えなかったらしい。始めて路地に入って確認。
「蒼稲神社」には、見慣れた伊豆軟石を用いたやや艶めかしいお狐様が神社をお守りしている。文久三年。
安政六年の刻銘が有る手水鉢の足は銚子砂岩。その下には飯岡石が礎石として置かれている。
利根川に近い「海上(うなかみ)神社」拝殿の礎石は、この飯岡石の加工品。
拝殿濡れ縁の束石も同じく飯岡石。
社殿の周りをぐるりと巡ると、背後に庚申塔(寛政十二年)や青面金剛像(文化三年)と共に、昭和55年の庚申塔まで藪の中に在る。
更に「青面大金剛」文字塔が、伊豆軟石を用いてほぼ百余り、残念ながら乱雑に置かれている。
境内社の手水鉢が「飯岡石」を加工して奉納されている。残念ながら時期が刻まれていない。これだけ厚みのあるものは数少ない。
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