地下鉄の駅を出て佃一丁目の住吉神社を目指し高層のマンション群の間を抜けると軒を接した商店や住宅の密集する一角に差し掛かる。その密集した住居の中ほどから一本の公孫樹が頭を出している。これを目指して狭い路地に入るとその中ほどに、入り口を守る様に公孫樹の大きな幹がはみ出した奥に「佃子育て地蔵尊」が坐す。
御本尊は恐らく根府川石であろう石碑に線刻された地蔵尊だが、
更に奥には木製の玉垣に囲まれて小さな石が鎮座す。残念ながらこの石については色々と調べて見たが由緒等が判らない。神秘を探求するなかれ?
地蔵尊の在る路地を抜けると「波除於咲稲荷神社」が目の前であり、その背後は古くからの石垣が残る水路となる。
稲荷神社の前面は赤文字で強調された奉納者の名前が彫られた恐らくは須賀川石の玉垣が目立つが
境内に入り拝殿の左右を子細に観察すると、参詣者には目立ち難い場所の玉垣は、半ば風化剥離が進んだ伊豆の細粒の凝灰岩で出来ている。目立たない場所を密かに守ろうとする粋な御仁の計らいで古くからの石材を観察する事が出来た。
有名な住吉神社を抜けると「石川島灯台」のモニュメントの脇から、元々は人足寄場として埋立てられた「石川島」地区にはいる。高層のマンション街の一角には、「石川島播磨重工業」の記憶を残すかのような煉瓦積みも観られ、
建物の中には狭いながらも官製造船所を買収して起業した現“IHI”の資料室が地域の歴史を語ってくれる。高層棟の内装にはサンゴ化石が密集した大理石が張られている。
この地は実は“IHI”が初めて機械式の土圧シールドを製作し、施工したシールド掘削機の聖地でもある。サラリーマン時代の様々な仕事の思い出が脳裏を駆け巡る。
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