勝山付近は、明治時代は凝灰岩石材の出荷地だった事が判っているのだが、その大部分は鋸山の南側から採掘された元名石と呼ばれるものだったらしい。港が整備されていたか否かと言う問題は在るが、鋸山で産出した石材を保田付近で船積しないで、八里(32km)もの距離を陸送したうえで現在の勝山や岩井袋まで運んだと言う事は理解に難しい。
伊豆石と同様に、元名石は徐々に鋸山北面の房州石産地に押されて早い時期にその記録が失われていて、1969年に刊行された鋸南町史にも既に記録が残って居ないとされている。
この石材は恐らく大黒山や加知山付近か、あるいは岩井袋付近で採掘されたものと思われる。
安房勝山付近の画像が予定外に膨らんだが、この付近が終わったら、岩井袋に移る予定です。
枚数が多くなったので、表題は地名で分離しました。
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