高畠町郷土資料館の展示に、高畠石を用いた風呂桶と流し場が在り驚いた。展示解説によると「明治時代に流行し比較的裕福な家庭で使用されていた」とある。私は九州は佐賀で生まれたが、五右衛門風呂と言う鋳物・鋳鉄製の風呂桶で下から直火で風呂桶を加熱していたから、入る時に木製の敷板を旨く足で沈めて入らないと大変だった。これは左側の凹みの部分に内釜がはいったのだろう。勿論、洗い場はこの配置では無く、隣り合って置かれていたのだろうが、高温と水との両方から責められては流石の凝灰岩も弱った事だろう。
房州石では炉や釜は在るけれど風呂桶は聞いた事が無い!
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