2013年5月8日水曜日

瀧ノ谷の更に奥へ (2)


明治から大正時代に採掘が行われていたらしいこの採掘跡には壁面に小さな祠が造られていた。
奥へ奥へと採掘が徐々に劣悪な状態になって行く事への恐れから彫り込んだのか、只ひたすらに安全を祈っての事か?最後の頃は、下に掘り進む事も出来ずに奥へ奥へと掘り進んだがとうとう、途中で採掘を放棄した事が伺われる丁場である。

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