

一つは大正12年(1924年)に関東地方を襲った「関東大震災」に関するものでした。古墳には関係有りませんが、この地元飯野村では440戸中176戸が倒壊、半壊・大破が130余戸。死者13名。河川の堤防の損壊などが列記され小学校校舎の復旧などが3年後に完成した事を後年に伝える為の石碑でした。
残念ながらもう一つの石碑の碑文は達筆で小生には読む事が出来ませんでした。
画像は礎石の富津磯石の生痕化石に貝殻が残っていたものを拡大したものです。貝殻が残っていると言う事は、或いは古墳から持って来たのでは無く、海岸か近くの何処からか運び込んだのかもしれません。
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