別の神社の燈籠の基壇に使われていた石材の表面。白い細かな模様は石灰質の珪藻等の化石が造る模様だが、これは伊豆下田付近に産出する石灰質砂岩と全く同じで、これだけでは見分けが付かない。但し、この高宕石の場合は泥岩の偽礫(まだ石にはなって居ないので柔らかいが礫に見えるもの)を含んでいる事と、堆積方向の側面から見ると堆積時のラミナが殆ど観察されない(伊豆のものは風化すると明瞭に観察される)
2021年5月19日水曜日
石材の流通範囲を調べるたのしみ
2021年5月8日土曜日
石材の旅:042021-07:井内石とスレート・石巻市蛤浜
所在地:石巻市桃浦蛤浜;
国土地理院地図座標:38.402275,141.410402
JR仙石線渡波駅から:約 5.3 km:バスは多分一日 6 往復
今日の表題には「凝灰岩質」と言う単語が付かない。石巻付近は、塩釜石や野蒜石・川下石等と云う凝灰岩質石材が大量に産出していたので何度か通って建物を始めとする石造物を調査していた。
その内に、神社で石碑に良く見る事の多い井内石(稲井石・仙台石)がこの石巻の産出だと判って、博物館の地学科主任研究員にご教示を頂きながら産出状態や千葉を中心とするこの石材を用いた石碑類の分布を訪ねていた。余りのこの石材を用いた石碑の多さに、調査と記録に多くの時間を割かなければならず(写真・採寸・表題と碑文の確認・造立時期の確認・礎石の材質等)、凝灰岩の調査が進まなくなった(神社で井内石の方が必ず件数が多い)ので 3年で諦めた。
過日、NHKの「ブラタモリ」で東京駅のテーマだったが、屋根材の「雄勝石」が話題になったので、雄勝石の産地では無いがこの「蛤浜」を思い出した。
※ 気付いたら随分長期間に亘って更新を怠っていた。76歳の後期高齢者は閑だと思われがちだが、これが意外と忙しい商売で、週に二日は今でも働いてフイールドワークの交通費等の飛翔を稼がないと小企業を定年退職した輩では年金だけではとても趣味の世界の鐘の出所が無いし、フィールドワークに出れば、観察記録を作らなければならないし、年に一度は博物館に報告書を提出するし、・・・
海岸で採取した井内石の平たい礫の例。この頃、博物館の先生が「石ころ博士入門」を数年がかりで書いて居られていたので、サンプルや撮影候補地のお手伝いをさせて頂いていた。
井内石の堆積模様。白い部分は砂勝ちの地層。時に大粒の砂を見掛ける事も有る。
井内石のこれは「生痕化石」小さな底生生物が這い回った跡らしい。石碑の面では結構生痕化石を観察する事が出来る。
井内石は細かな堆積模様のものが多いのだが、海岸の転石にはこの様に単一層でも分厚い事が有る。
2021年4月18日日曜日
凝灰岩質石材の旅:No.122084-01:野田市の伊豆石と黒板塀に岩舟石も (2/2)
所在地:野田市上花輪507:季節開館有料公開施設:上花輪歴史館
チャートは普通は不透明なものが多いのですが、火山噴火の影響を受けてやや透明感のあるチャートが含まれています。
佐渡の赤玉石です。越谷の黒板塀のお屋敷にもありましたね。
内部を見学する事は出来ませんが、キッコーマンの煉瓦蔵です。地図に黄緑の丸で囲んだ部分です。
2021年4月17日土曜日
凝灰岩質石材の旅:No.122084-01:野田市の伊豆石と黒板塀に岩舟石も (1/2)
所在地:野田市上花輪507:季節開館有料公開施設
詳細は下記サイトをご確認下さい。
http://kamihanawa.jp/
国土地理院地図座標:35.939582,139.858017
東武野田線野田市駅から徒歩:約 1.5 km
越谷市から、黒板塀繋がりで野田市に飛ばせて頂く。野田市はご存知の通り、利根川・江戸川と利根運河に囲まれて舟運に恵まれ、醤油の醸造業が盛んになった場所。その醤油醸造業者の一つに寛文元(1661)年に醸造業を始めた高梨家があります。現在は「高梨家庭園」或いは「花輪歴史館」として季節を限って公開している施設だが屋敷はもともとは醸造工場を併設していた関係上広大で、材料や商品の輸送に用いた構堀が残され、工場で用いられた伊豆の軟石や、栃木県の岩舟石が多数残されている。
化石の観察出来る間知石の右隣の白い筋が見えるのは、沸石脈らしいものが見える。石英脈かと思ったのだけれど、恐らく沸石だと思う。
沸石脈らしいものの拡大図。でしょ?
石垣の一番上の部分には、北西側の構堀に近い部分は安山岩ですが、それ以外は石灰質の生物遺骸が豊富に含まれていてしっかりと硬い石灰質砂岩が使われています。
2021年4月10日土曜日
凝灰岩質石材の旅::No.112224-07:越谷市の伊豆石と黒板塀の礎石
所在地:越谷市越谷本町8-2:非公開旅館(南側の道路沿い)
国土地理院地図座標:35.894365,139.785946
東武線蒲生駅から徒歩:約 750 m
有瀧家の黒板塀から次は河内屋旅館の黒板塀の礎石に「黒板塀」つながりで移動です。今回ご案内する越谷市の四番目になります。河内屋旅館さんは古くからの旅籠の様ですが、現在は瀟洒な普通の旅館になっています。この旅館の南側の路地に面した処に、黒板塀があります。その礎石が道路側から見えるのですが、伊豆の石灰質砂岩と石灰質の小さな礫を挟んだ「小室石」が使われています。
少し大きな火山岩の礫が入っていますが、小さな穴が沢山あります。穴は気泡ではなくここに有った砂が周りの石灰質が少し溶けた為に脱落してしまった跡です。
凝灰岩質石材の旅::No.112224-06:越谷市の伊豆石と赤玉石
所在地:越谷市中町 8-2:非公開個人宅
国土地理院地図座標:35.892283,139.786423
東武線蒲生駅から徒歩:約 500 m
越谷市郷土研究会のお膝元を訪ねて三回目は、一番駅(東武スカイツリーライン:越谷駅)に近い観察ポイントです。丁度、Y字型の分岐点の両側に低い石垣が積まれており左手は道路沿いに花壇が地域の方々の手で整備されています。この花壇の周囲に置かれた切り石が、伊豆の下田付近から運ばれて来た「伊豆軟石」です。「木下半助商店」さんや「塗師 小泉家」さんで観察された「石灰質砂岩」と少し硬い「含礫緑色凝灰岩」と言う石材が使われています。中には一棟のマンションが建っていますが元々は「有瀧家」の敷地の様です。有瀧家からは有名な植物学者が出ていますので、以前は専用の植物園も有ったと聞きます。右手に延びる黒板塀に沿って歩くと旧日光街道との交差点の手前に有瀧家のご自宅があります。右手の道路沿いに赤い点を置いているのは、外からは見えないけれど、この黒板塀の礎石の部分には伊豆の石材が使われているからです。
旧日光街道との交差点付近に緑色で塗っているのは、この付近に数個の「赤玉石」が庭石として置かれているからです。残念ながらつるつるに磨かれています。
2015年7月末にこの黒板塀の処を通りかかると、板塀が変形していて礎石が散乱していました。どうやら車が突っ込んだ事故が有ったようです。私じゃありませんよ!